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わたしの父は、「数学」そのものを仕事にしている人であった。一言で言えば、数学の実務者である。
造船用クレーンや桟橋など、重機や構造物の、強度計算の専門家で、改良発明をしていた。今はもうコンピュータで計算するのだろうが、昔は、人間が、計算尺ひいては電卓を使って、手作業で計算していたのだ。コンピュータと違い、シミュレーションは、強度計算技術者の頭の中でなされる。算出した結果をもとに、材料の発注がなされ、製造されるのだから、一発勝負である。人命に関わることなので、ささいなミスも許されない。
学校の数学では問題が与えられるが、実務の数学では、自分で問題を見つけなければならない。そして、解き方もである。発明となると、既存の技術や知識だけでは解けない。誰も教えてくれる人はいない。
一人で、納期までに、解を見つけなければならない。
会社にいるとオペレータへの指示やチェックのために自分の仕事ができない、会社には考える環境がないからと、家に仕事を持ち帰ることもあったし、フリーで仕事をしていた時期もあったので、家にはドラフタなどの設計用具一式があり、何時間も図面に向かっていて考えていた。
そして、煮詰まると、銭湯に出かけ、自慢の剥げ頭をピカピカに磨き上げて帰ってきて「分かった!分かった!」とニタニタしながら、夏場などは、砂糖をかけた氷か、氷を敷いた砂糖か分からないくらい、上白糖をかけた「かき氷」を食べていた。そして、おもむろに、数式を書き始めるのであった。
ときどき、休日に、若い技術者たちが、勉強のためにやって来ることがあった。父のような口下手、コミュニケーション下手の人間に、何をもとめていたのか分からないが、昔は、ワザは「マニュアル化して教えてもらうもの」ではなく「見て盗むもの」であったから、実務の現場を見るだけでも勉強になったのかもしれない。
日本の庶民の常で、父と母も2Kのウサギ小屋に住んでいたから、わたしは赤ん坊の頃、父が仕事をしている横に寝かされていた。文字通り、生まれたときから、開発と発明の現場に、いたわけだ。そして、青焼きコピーミスの設計図の裏に、お絵描きをして育った。そんな環境で育つと、学校の勉強には逆効果となるような、気付かなくてもよいことに気付いてしまう。小学生のときに、研究の数学と、学校教育の数学と、実務の数学との間に、大きな壁があることを感じ取ってしまった。
これは、数学だけに限らない。長じて、自分も働き始めると、他の分野、それがデザインであってもソフトウェア開発であっても、学術機関での研究と、学校教育と、実務の間には、大きな壁が存在することに気付いた。
実務の現場は、常に、納期と、精度との、戦いである。納期によっては、試行錯誤さえ許されない。売上や費用も絡む。また、外注を使えば、クオリティは外注先の人間性に左右される。たとえば、いくら強度計算を正確に行っても、外注先がその通りの材料で製造しなければ意味がないのである。だが、完成度に対するユーザの目はといえば、実務担当者に向けられる。重大な責任感が伴う。
研究者は、理想と現実の距離は近いと考えている。現実の上に理想を重ねて精進している。
教育者は、理想を現実だと、教えている。
開発者は、理想のレベルまで、現実を一歩でも近づけようと、悪戦苦闘している。
現場の開発者は研究者や教育者との間の壁に気付いているが、研究者や教育者は開発者との間の壁に気付いていないこともある。また、両者が、壁の存在に気付いていても、その壁には、相手側からしか開けられないドアが付いていると誤解していることもある。
その壁を乗り越えるためのコーディネート業務を担当する機会が増えているけれども、通訳を介さないほうが効率はよいはずだ。開発者、研究者、教育者が、それぞれの前にある壁の存在に気付き、お互いがドアを積極的に開けてコミュニケーションをはかる姿勢が重要ではないだろうか。
教育機関の法人化や教員免許更新制度が始まりつつあるけれど、その試みが成功するかどうかは、研究者、教育者、開発者が、それぞれの間の壁の存在に気付き、互いの立場を理解し、いかに協業できるかにかかっているような気がする。