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ロボロフスキー・ハムスターの嘱託社員、ガリこと、ガリレオ・ガリレイ・カジリエフ氏が死去しました。
2003年11月3日、ディックナーサリー朝生田店より転職、入社。享年推定2歳2カ月。
死因は、頬袋腫瘍による、十分な栄養補給ができないための、老衰です。
今年の梅雨時期の、異常な雨量による湿気で衰弱し、7月には、背中と頬袋に直径8mmほどの腫瘍ができ、耳の付け根から腰まで全て脱毛という状態になっていました。
それでも、連日、熊本かぼちゃの甘煮、鳴門金時のレモンはちみつ煮、とうもろこしの塩茹で、グリーンローズまたはサラダ菜という、やわらかく栄養のある食物を与え続けると、よく食べ、9月には、背中の腫瘍がほとんど消え、産毛も生え、死の1週間前には、先輩社員のソクラテスと、鳴門金時の争奪戦を繰り広げるまでに回復していました。
死の前々日まで、ガリさんは、わたしが水槽を覗いたり、声をかけると、駆け寄ってきて、後ろ足で立ち、手を伸ばして見上げ、背伸びし過ぎては、しりもちをついて「あれれ」という顔をしていました。
しかし、ガリさんの背中は、まだ産毛だったので、寒いのか、新聞紙をちょうど布団のように齧り取り、それを数枚作って(といっても、ガリは不器用でサボリ屋なので、齧って作っていたのは上司のソクラテスに違いないのですが)、掛け布団のように被っていました。
ところが、死の前々日、翌朝は少し寒くなりそうな感がありました。水槽のアミのフタをプラスチックに変えたほうがよいかなと思いましたが、夜中に変えればよかったのですが、そのままにしてしまいました。
前日、いつもなら夜9時半から10時頃に補給する「おやつ」を、この日は、夜8時過ぎに与えました。
この日は、夕食を作る元気がなく、デリバリーを頼みました。それで、いつもなら生から茹でて与えるとうもろこしではなく、デリバリーのサラダについていたコーンを補給しました。また、サラダ菜をきらしていたので、朝はきゃべつを、夜にはサラダの中の「ちしゃ」を補給しました。
ソクラテスは、すぐにコーンを食べていましたが、ガリは、砂場で横たわって眠ったままでした。生きているのか死んでいるのか分からないような静かな眠り方で、「ガリさん」と数回声をかけると、右手を少し振りました。余程眠いのか、起きてこないので、寝かせたままにしておきました。
事務所の受付社員ということもあり、栄養面、衛生面には、非常に気を配ってきました。
「浴びっこサンド」も、通常は1週間に一度の交換でよいところを、毎日総入れ替えしています。ソクラテスもガリも、トイレは全て砂場でするため、水槽内は、非常に清潔に保たれていました。
しかし、上司である、わたし自身は、春先以降、十数年ぶりの絶不調期に突入しており、毎日の世話と、1週間に一度の水槽大掃除は何とかこなしていますが、水槽のフタに気を配ることができませんでした。
また、おやつも、この日は、買い物に行く元気がありませんでした。このような手抜きおやつは、この2年間で、2回ほどしか与えたことがありません。ただ、気配りしていたとしても、天命だったとは思います。
9月17日、毎週土曜日の午前中は、水槽大掃除の日です。
ところが、水槽内に、ガリの姿がありません。「ガリさん」と呼んでも、出てこない。ソクラテスが、一匹、そわそわと水槽内を駆け回っています。そして、「浴びっこサンド」の器の中に、横たわって動かない、ガリの姿がありました。
昨晩眠ったときの姿勢のまま、砂に埋もれるように、亡くなっていました。
ソクラテスが、横たわったガリさんの脇腹に、鼻の先を押し当てて、動かそうとしますが、動きません。ソクラテスは、悟っているようでした。
ガリさんは、キッチンペーパーにくるんで、エサと一緒に、事務所の駐車場の隅に、埋葬しました。
それから、水槽の大掃除をしました。
ソクラテスは、所在なさげにフラフラ走っては、「浴びっこサンド」の器の中に入り、瞑想にふけっています。食欲もないようです。しかし、自分も生きていかなければならないことは分かっているようで、思い出したように、きゃべつを齧っています。
彼らが入社して以来、親しくはするけれども、できるだけ、ハムスターはハムスターなりに生きるような、環境を作ってきました。
砂漠に生きるハムスターらしく、砂の中で、静かに眠るように死んだことは、望ましい最期だったと思います。