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NEETの人口増が社会問題になっている。
さいきん、この言葉を、新聞紙面上に、見ない日は、ない。
引きこもっている人が多いわけだけど、以前、引きこもりで有名なWebサイトを見て、不思議に思ったことがある。
引きこもりを持つ家族の経済問題について、あまり触れられていなかったからだ。
わたしは、NEETおよび引きこもりは、経済問題であると思う。というか、経済問題以外の何ものでもない、とさえ思う。
もし、NEETおよび引きこもりが、莫大な財産を持つ家庭にいれば、身の周りの世話をする人だって雇用できるし、親が亡くなった後でも、何の心配もないはずだ。
いまは少子化で大家族が減っているので、一家族の構成人数が4人としても、無職あるいは低収入の成人一人を、当人が年金受給可能になる年齢まで、残りの3人で支えていくのは、かなり厳しい。
それに、NEET自身もサポートする側も、年金の受給金額が、アテにならない世代であったりする。自分の老後のための資金も貯めながら働く必要があるから、さらに困難だ。
サポートする側の家族が、自分の人生は脇に置いて、身を粉にして働く。頑張りすぎて、サポートするはずの家族が、健康を害してしまうことだってある。先が見えず、相談先もなく、精神の健康を害してしまうこともある。介護の共倒れ、あるいは要介護者より、介護者が先に死んでしまう構造に似ている。
NEET本人の気持ちを擁護し、口先だけの非難をやめて、具体的に支援するための行動に乗り出すのは、よいことだ。しかし、「いちばん辛いのは本人だから」と、サポートする家族を叱咤激励するのは誤りである。共依存は、家族愛と等しくはない。「一番辛いNEETを助けてあげる」というのも、何か偽善的な臭いがする。
仮に外に出て自活できるようになったとしても、家族の努力を心から理解しなければ、精神的な自立はできないのではないだろうか。
もし、NEETを含む家族に、何らかの支援をすることになったなら、「本人も辛い。だが、それをサポートする家族も辛い。どちらが辛いかという判断はできない」と、言った方がいい。そして、「キミを助けてあげるから、動くのではない。キミをサポートし続けたら、家族の将来に希望がなくなってしまう。家族も、キミと同じ一人の人間であり、やりたいことや夢があるのだ。キミを助けるのではなく、キミを含む家族に、可能な限りの協力をするのだ」と言えばいい。この言葉には、偽善がない。
そして、甘えを見極めることだ。辛い辛いといいながら、本当に思い通りに実行できなくて辛い場合と、単に、すこし試してみただけで出来ないと諦めている場合がある。甘えていると判断したときは、「逃げていないか」とハッキリ問えばいい。そして行動のヒントを与えればいい。「辛いのか、かわいそうに」と、何でも支援していたら、自分で考えて動く能力は、いつまで経っても育たない。
NEETおよび引きこもりに対応するときは、次の4点がポイントではないかと思う。
1つは、「放任」と「見守り」を区別すること。
何のアクションも起こさず、食事の準備などのサポートをし続けることは、「放任」であって、「見守り」ではない。「このままの状態を続けていれば、いつかは、おのずと飛び立つ」なんていうのは、幻想だ。
思索家やクリエーターのように内部から湧き上がる刺激があるのでない限り、外部からの刺激がTVやネットしかない場所にいて、自ら変わるなんていうことは不可能に近い。
カウンセラーや医師に「このままの状態を続けてください」と言われたら、その真意は、「あまり大きな刺激は与えないようにして、しかし、働きかけ続けろ」ということだ。「このままの状態を静かに続けろ」ということではない。
2つ目は、喜怒哀楽の感情を、先回りして奪わないこと。
苦労させたら、涙を流させたら、かわいそうだからといって、喜怒哀楽の怒と哀の感情を、本人から奪っていないだろうか。(本人が、発達障害や精神障害や人格障害から派生する抑うつ状態でないことが確実であるならば)辛そうなことを、家族が先回りして行ってしまわないことだ。
また、本人にとっては何か新しい行動をとらなければならないとき、一度付き添って教えたら、いつまでも一緒に行動しないことだ。独力で何も考えず決断できない人間になってしまう。「何でも一緒にしてくれるから」という安心感を本人が持つ前に、早い段階で、離れることだ。
3つ目は、「ずるさ」=「逞しさ」だと教えないこと。ヤドリギでもあるまいし、人間にとって「依存」は「生命力」ではない。
困ったときに、何でも一人で抱え込まないで、他者にうまく協力を求めたり、社会制度を活用する能力は必要だ。それは、世の中を、生き抜いていく力になるだろう。しかし、協力関係と、共依存は、違う。人生の先達が、依存することを「世渡りの上手さ」だと誤解させるような言動をとっていては、自立心は育たない。周りの大人たちは、独力で頑張っていける力強さを、手本として示すべきだ。
最後に、根気よく傾聴すること。
対面で、論理的、冷静なコミュニケーションをはかり、真意を引き出すことだろう。
ひきこもったきっかけや、NEETでいる理由、いまの気持ち、働くことに対する考えを、本人から、詳しく聞きだすことから、関係改善のすべてが始まる。
これは持久戦である。相手が、言葉を発するまで、何時間でも、待たなければならない。
往々にして、家族が、本人の言葉を待たずに、「キミはこう思っているはずだ」と、先に言葉を発してしまいがちだが、これは、いけない。
いちばんいけないのは、親が、「自分は親だから子供のことを一番よく分かっている」と思い込むことだ。「自分は親だから子供のことを、世界で一番大事に思っている」これは事実だろうが、一番大事に思って愛しているからといって、一番よく分かっているとは限らない。同じ遺伝子があるから、とか、似ているから、長年身近で見てきたから、という自分の経験を過信しない方がいい。
ここでいう「分かる」とは、「知識として理解する」ことではなく、「立場や価値観を理解し、相手の感情を想像できる」ということである。
わたしなんぞ、外見と能力については父と母から、おもしろいほどに、半々で遺伝子をもらっていて、その遺伝の妙に驚いているが、だからといって、両親がわたしのことを分かっているとは思っていない。ほとんど分かっていないといった方が正しいかもしれない。
親子だろうがパーソナリティが異なれば、人は分かり合えないものである、という前提に立って、分からないから知りたい、話を聞きたいという姿勢を示すことが重要ではないだろうか。
わたしは、臨床家でもカウンセラーでもない、市井のへろへろ一思索家だが、机上の論理をこねくりまわしているわけではない。
NEETあるいは、元NEETで完全自立の困難なフリーターに対し、職業訓練と資格取得を半強制するような条例ができてもいいくらいだと、わたしは思っている。家族のサポートには限界がある。親子だからこそ言えない言葉だってあるだろう。親の助言だから反発するということもあるだろう。
NEETの自立は、人に育てられたムササビの子を、自然の中に放つのに似ている。いきなり「自分でエサをとって天敵から身を守って生きていけ」というのはムリだけれども、いつかは自然に帰さなければならない。
NEET本人も辛いだろうとは思う。しかし、サポートする側の悩みも、深い。