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ニート、家事手伝い、専業主婦(夫)/2005年10月5日

相方の親戚が毎日新聞の販売店を退職したので、読売新聞に鞍替えした。新聞よりも、広告の見出しを見る限り「Yomiuri Weekly」の方が面白そうだ。最近の広告に、「生活保護ニート」という見出しが躍っていた。生活保護受給は、もちろん、懸命に生きる国民の当然の権利である。外からは分からない障害で、受給している人もいるだろう。上肢や下肢や視覚の障害でなければ、健康そうに見えるので、働く意志のない人間だと誤解されることもあるだろう。何の事情もなく受給資格を得られることはないはずだが、そうでない人もいるというのだろうか。
NEETを、家事手伝いや、専業主婦(または主夫)と同じレベルで論じる視点があるようだ。しかし、NEET、家事手伝い、専業主婦、この3つは明らかに違う。
社会経済に対する貢献度も、違う。

労働とは、収入という対価ではなく、労働した時間によって、測られるべきだ。
なぜなら、人生で、一番、取り返しの付かない、かけがえのないものは、「時間」だからである。
収入は、今年赤字でも、来年取り戻すことはできる。しかし、失った時間は、取り戻せない。

NEETは、家族や他者のために、自分の時間を使っていない。
ただし、ここでいうNEETとは、家族に収入や生活を頼ってボランティア活動を行っている者とは区別するものとする。ボランティアは通学したり講習会に参加したりするよりも、実地で学ぶことの方が多いだろうから、ある意味において、Edicationに対する意欲があると受けとめることもできるからである。
消費経済に異議を唱える積極的NEETにとって、身体障害者支援のボランティアも、消費経済の中のひとつに過ぎないのだろうか。助けを求めている人は、多々いるはずだが。

家事手伝いは、あくまで専業主婦(夫)の見習いであって、「手伝い」という言葉の通り、手伝う相手、指示をしてくれる相手がいなければ、成立しない。手伝ってはいるが、その分、指示や教育に対する相手の時間を消費しているので、家族や他者のために自分の時間を使っているとしても、プラスマイナス・ゼロになってしまう。
それに、もし、料理を手伝って、失敗したとしても、使えなくなった素材を、家事手伝いの本人がお小遣いの中から弁償するわけではないだろう。つまり、家事手伝いには責任が伴わない。そこが、飲食店の厨房で働く「料理見習い」とは全く異なるところである。

専業主婦(夫)は、家事のプロであり、家族のために、自分の時間を使う。労働時間の総合計を算出してみると、よく分かる。土日や年末年始などに休みのある会社員が定年まで働く総労働時間よりも、年中無休で、中には、夫が夜遅く帰宅しても食事の準備をして後片付けをするといった深夜労働や、お弁当作りの早出もある専業主婦の総労働時間の方が、圧倒的に、労働時間は多いはずだ。
また、専業主婦(夫)の仕事には、責任が伴う。とくに、家族に、糖尿病や高血圧、アレルギーなど食事に配慮する人がいる場合は、仕事の成果が、家族の健康診断の結果という数値に反映される。育児でも、介護でも、同様である。子供がアトピーや発達障害を抱えていたり、要介護の人が家族にいる場合、家事に、家庭内の看護師や臨床心理士や発達障害教育の実務者、そしてヘルパーといった作業も追加されるので、さらに責任は重くなる。
ただ、栄養学や医学の知識を吸収することに無関心で、家族の健康管理にも気を使わず健康を害するような料理ばかりを食卓に並べ、地産池消にも協力せず、リサイクルすべきものも廃棄し、清掃には科学物質や使い捨て用品を使いまくり、近くのスーパーに行くにも車に乗って排気ガスを出し、といった「自称」専業主婦(夫)も、中にはいるはずで、それらの人たちまで、同様に、専業主婦という名前で呼ぶから、話がややこしくなる。専業主婦ではないわたしでも、やらないような手抜き作業をして、家事をした気になって、専業主婦を名乗らないでもらいたいものだ。そういった偽者の専業主婦を、家事や育児や介護のプロを自認して日々努力する本物の専業主婦と、同じレベルで論じるのは、はばかられる。

わたしは、自営業の傍ら、家事の9割を担当している。収入は、同じ年齢のサラリーマンの平均年収程度はあると思う(そのぶん、国民年金なので老後の保障は、ないに等しい)ので、フルタイムと見ていいだろう。つまり、フルタイムで働き、家事の大半を担当している人間として、NEETの問題を見ている。
わたしは、小さいときから「経済力は発言力である」と思ってきた。わたしがフルタイムで働くのは、仕事を通して自分の能力を伸ばし、人と交流し、社会貢献をし、生活費を得るためということ以外に、自分ひとり食べていける収入がなければ、家族に対して、言いたいことも言えなくなるから、という理由も大きい。わたしの両親のように双方合意の上の共依存ならまだしも、子供の出産時に退職し、経済力がないために、自分の主張を胸のうちに封じ込めて、夫のモラルハラスメントに耐え、専業主婦を継続しなければならない人たちが、全国に、どれほどの数いるだろう。
専業主婦は、家族が、その仕事の幅広さと奥深さに理解を示すのでなければ、一生無休、一生無給で、家族のご機嫌伺いを強いられる、この世で一番割に合わない仕事だ。女性を「自分とは異なる人格を持ち共に成長する相手」ではなく、「ボランティアの生活サポーター」だと勘違いしている男性は、少なからずいる。そんな価値観の持ち主と結婚して、寿退社や出産休暇をとったが最後、定年もないまま、死ぬまで「この世で一番割に合わない仕事」を続けなければならなくなる。
就職先を決める際、自分の持っている能力を生かして伸ばせる職場を選ぶように、主婦業に適性があるだけでなく、その能力を生かして伸ばせる環境を整備できるならば、専業主婦になればよい。

その人の価値観や能力が、NEETか、家事手伝いか、専業主婦(または主夫)かは、1週間でも、見知らぬ家庭に、居候させてみれば、分かるだろう。
NEETなら、何もせずに、与えられた部屋で、与えられる食事をとるだろう。
家事手伝いなら、数日経つと「何か手伝いましょうか」と言うだろうが、具体的な指示をしなければ、結果を出せない。
本物の専業主婦なら、翌日には、「何か手伝いましょうか」と言うだろう。そこで、「では、家事を担当してほしいので、あなたの経験を生かして、手伝ってください。無料では心苦しいので、アルバイト料程度はお支払いします」と言えば、生活費の予算を尋ね、家族の健康状態と行動予定を聴き、自発的に、栄養バランスのとれた完璧な食事を良いタイミングで提供し、掃除も完璧にやってのけるだろう。
つまり、専業主婦には、他者のために、労働力を提供する意志と、その能力がある。NEETには意志がなく、家事手伝いには自分で応用して自発的に仕事を完遂する能力がない。そのため、社会への貢献度も、格段に違う。

わたしは、就職してこのかた、ずっと勤務先では技術職だった。事務とくに転記作業と見知らぬ相手との電話が苦手で、複数の作業を併行して行う能力に欠けるわたしには、一般職の仕事は神業に見えた。いつも笑顔で、来客に対応したかと思えば、電話応対をし、その合間に伝票を発行し、お茶を出したかと思えば、技術職から頼まれた資料作成に取り組んでいる。一般職の人たちがいたから、わたしたち技術職の社員は安心して自分たちの仕事に取り組むことができた。適性による分業であって、どちらが、優れているわけでも、偉いわけでもない。
そんなわたしだから、家事は、強迫的にExcelを使うことで、こなしている。献立表の作成から購入品のリストアップ、家計簿付けまで、Excelがなければ、わたしは家事をできない。だけど、専業主婦の適性を持つ人なら、ソフトに頼らなくても、気軽に、簡単に、楽しくできるんだろうなあ、と思う。餅は餅屋である。

フルタイムで働き、家事よりも仕事に注力している女性は、「本物の」専業主婦を、見下していないだろうか。家族のためだけに心を砕く大変さを理解しているだろうか。自問自答すれば、家事のプロを、NEETや家事手伝いと、同じレベルで扱うべきではないことは、明白だろう。
同時に、家族に対して責任感を持たず、家事の真似事で主婦をしている気になっている、「エセ」専業主婦や「デモシカ」専業主婦の人は、フルタイムで働く人が、家事を手抜きしていても、それを批判してよいはずがない。
フルタイムの労働者も、専業主婦も、それが本物同士なら、相手への思いやりがあれば、お互いの立場を理解し、お互いの人生を尊重し合えるはずである。
時代にそぐわない社会制度は変えたほうがよいし、明らかな不公平は是正しなければならない。だけど、損得勘定だけで、お互いを批判して何になる。より良い制度のためのアイデアを出すことだけ考えればよいのではないだろうか。

仕事も、家事も、すべては、自らに目標を設定する意志と、目標に到達するための努力と、設定した目標の達成率によって、社会貢献度を評価されるべきである。

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