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ソクラテス課長、大往生/2006年1月13日

先日、ロボロフスキー・ハムスターの嘱託社員、ソクラテスこと、タマーラ・ソクラテス・ニゲルノスカヤ氏が死去しました。
2003年11月1日、ディックナーサリー朝生田店より転職、入社。享年推定2歳6カ月。
死因は、老衰です。眠るように亡くなりました。

12月末のある日、私は頭痛で寝込んでいました。
相方と共同生活を始めて8年、寝込んだのは初めてです。
寝込む2日前に、寝室の枕もとの窓が開いていて、一晩中寒く風邪を引きかけていたところに、リュープリンの3回目の注射の副作用が重なったようでした。頭痛の予兆のなか、母の入浴介助に出かけ、買い物をし、胃液を500mlくらい吐きながら、キッチンを往復して夕食を作ったまではよかったのですが、その後2日間、中程度の頭痛がダラダラ長引きました。群発のように絶望的な痛みではありませんが、パブロン鼻炎スプレーを使っても効かず、2時間耐えれば治る!といった予測ができないので、閉口しました。小学生の頃からの頭痛持ちで、いろいろなタイプの頭痛を経験している私も、これまでにないタイプの頭痛に、脳神経外科を受診すべきかどうか迷い、結局産婦人科に電話をかけ、リュープリンの副作用でも吐き気を伴う頭痛があることを確認し、「さらに悪くなるようだったら、また電話をしてください」という返答に、様子を見ました。ソクラテスの世話しなきゃあ、と思いつつ、しかし起きて歩くと振動が響くので、どうにもなりません。
そんなわけで、いつもなら、昼食にドライフードとサラダ菜と砂と水を交換し、夜におやつとサラダ菜をあげるところが、全てを夜一回にまとめ、フードも多めに入れるようにしました。ソクラテス課長は、昼に新しいフードを入れてもらえないので、若干困惑しているようでした。

数日経ってようやく1日2回の世話ができるようになり、以前通り、昼にドライフードを交換しようとすると、ソクラテスは、食器に居座って、一心不乱に頬袋にフードを詰め込んでいました。
バランスと量を考える自制心があり、適量しか食べないソクラテスに限って、今まで、そのような光景は、目にしたことがありませんでした。
古いエサを食べない方がよいと思い、「ソクラテス課長、ちょっと、のいてもらえませんかねえ」と言いましたが、なぜか、動きません。牧草かきに使うプラスチックのフォークでお尻をちょんちょんとつつくと、しぶしぶ退きました。こんなことは、これまで一度もありませんでした。いつもなら、声をかけただけで、動いてくれるのですが、ご飯に執着している様子でした。
そして、退いたソクラテスの動きを見て、理解しました。足の具合が悪いようで、エサ箱の高さを乗り越えるのが困難になっていたのです。だから、一度食器に陣取ったら、頬袋に詰め込めるだけ詰め込んでおきたかったわけです。
新しいフードに交換したにもかかわらず、食器に戻ることはなく、牧草の上を足をひきずり、ソクラテスは綿ハウスの中に姿を消しました。

その翌日、毎週土曜日は、水槽丸い洗いの日です。先にホイールや砂箱などの部品を洗い、水槽を洗う間、ソクラテスには虫かごに移動してもらいます。手持ち無沙汰になるので、虫かごには、ヒマワリの種数粒を入れ、寒いので、綿をかぶせます。ソクラテス課長は、いつも、水槽を洗っている間、綿にくるまって、ヒマワリの種剥きに専念し、早く剥き終わった時は、「掃除は、まだか、まだか」と作業を急げといわんばかりのジェスチャーをします。
水槽の中に虫かごを置くと、ソクラテスは、すぐに理解して、自主的に中に入ってくれます。
しかし、その動作が、いつもとは異なりました。片足をひきずっています。少しの段差が辛そうです。それでも、上がらない足を、根性で持ち上げ、ソクラテスは虫かごへ移動しました。

水槽の掃除をした後、ホイールを除けました。ソクラテスには、もう綿ハウスをつくる体力がなさそうだったので、綿をちぎって、トンネルを作りました。
ジャムの瓶のフタ2枚に、フードを入れました。高さが3mmほどしかないので、これなら食べられると思ったのです。ソクラテスは頑張って頬袋にフードを詰め込み、綿の中へ消えました。その時の足取りは、牧草にさえ足をとられる有様でした。

翌日、綿を買いに、ホームセンターへ行きました。高さが低くて、つまづいても倒れない、陶製の食器も買ってきました。
夜、フードを交換する際、さつまいもの甘煮が大好きなソクラテスなら、うずら豆の甘煮も好きだろうと思い、おせちを作る時に、非常に柔らかく甘みを抑えて煮た豆を、ひとつぶ、追加しました。
いつもなら、私の気配を感じただけで、綿ハウスがもこもこと動き始め、鼻ツラを出し、そそくさと、食器に近付いてくるのに、この時は違いました。5分ほど待ちましたが、綿の中から出てきません。
トンネルの天井部分の綿をとってみると、ソクラテスは寝ていました。
食器でわき腹をつついて「食べないか」と言うと、弱々しく首を左右に振り、「眠いので、ひとりで静かにさせてほしい...」と、つぶやきました。
綿の近くに食器を置き、水槽のフタを閉じました。
もう長くない、と思いました。明日は、作業場の暖房のある部屋に連れてこよう。これまで、出張等で数日間事務所を空けることがあったために、温度差が出来てはいけないと、冷暖房設備を付けず、発砲スチロールやエアキャップを組み合わせた保温カバーだけで、越冬してもらっていました。でも、この2カ月間は、出張予定を入れていないので、ずっと暖房を付けていることができます。

翌日、昼に、水やサラダ菜を換えようとして、水槽のフタを開けると、ソクラテス課長は、亡くなっていました。
食器に頭を突っ込んだままの姿勢でした。うずら豆を食べようとして、そのまま事切れたようでした。
最後の瞬間まで、ソクラテスは、気力を失わず、生きようとしたのでした。
大往生でした。
遺影を撮影してから、うずら豆と、冷凍してあったさつまいもの甘煮、くるみ、ピーナッツ、フードなど、ソクラテスの好きだったものを抱えさせて、キッチンペーパーに包んで、埋葬しました。

ソクラテスの部下、ガリレオガリレイことガリ主任が亡くなったのも、私が体調を崩し、それまでにない絶不調で、いつも通りの世話ができなかった時でした。そして、ソクラテスも、私が、これまでにはなく寝込んだ時でした。
前歯が2本出ている、同じげっ歯類の仲間だから、体調を崩す時期が重なってしまったのか、あるいは、彼らが私の不調を感じ取ってしまったのか、どちらかは分かりません。ただ、人間よりも、彼らの方が、わたしに近い生き物であるような気がします。
ガリ主任が亡くなった時は、体調不良で感情がなくなっていて辛さも悲しみもなく、涙の出ない自分の状態が辛かったのですが、今は体調が回復してきているので、「私が体調を崩していなかったら、いつも通りの世話をして、少しでも長生きできたろうに」と思うと、悔しくて、大泣きしました。人間にとっては1日寿命が延びただけでも、ハムスターにとっては1カ月以上長生きしたことになるからです。
人間とは、仕事以外ではコミュニケーションの困難な私が、彼らとはスムースにコミュニケーションできました。人の考えていることは裏表があって理解できないことが多いし、言葉で傷つけられることも多いけれども、彼らは単純で、私も裏表がなく単純だから、考えていることが手に取るように分かり、彼らもまた、私の考えや意図をよく理解していました。
特に、ソクラテスは、私の座右の銘「なにをこれしき」を地で行く性格で、ウマが合いました。独立独歩で孤高を貫き、思索するソクラテスは、お互いに同類という感じがしていて、通じるものがありました。
ソクラテスは、生きることを諦めない姿勢を、私に示し、静かに去っていきました。

そのうち、落ち着いたら、これまでに撮った写真の中で、未掲載のものを、アップしたいと思っています。

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