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(3)火のないところに煙立つ/2003年3月5日

新聞を開ける.TVを点ける.事件ばかりでウンザリだ.
プログラムを書く.検証する.プログラマは正しい操作しか思いつかない.エンドユーザ有志にチェックを依頼する.信じられないような操作をする.プログラマが想像だにしない箇所でエラーが生じる.バグチェックと修正に,かなりの工数がかかる.
アプリケーションならバグ修正は可能だが,これが生体となると,そのバグ修正は極めて困難だ.ヒトは,バグだらけのプログラムがインストールされたハードディスクを持って生まれてくる.しかも同じプログラムではない.一人一人に異なるアプリケーションがインストールされていて,異なる設定がなされている.そして,何かの拍子にバグが出る.
誕生時点でバグチェックを行い,バグが出る箇所を特定し,遺伝子レベルで書き換えるなど,医学や遺伝子工学がいくら発達しても困難だろう.なぜなら,「多様性」と,バグや設定ミスの境界線が不明確だろうと思うからだ.どんな研究者でも区別できるように,異なるフォルダに保管されているわけではないだろうから.多様性,つまり異なるプログラムは種の存続に必要なので,これを迂闊に書き換えることはできない.
進化はヒトを複雑化し過ぎた.イベントハンドラは,常に,種の存続とは無関係な理由で,斬った,殴った,殺したという動作を呼び出し,感情を麻痺させる.
桶川ストーカー殺人事件の判決をニュースで聞いて,ヒトの脳の脆さを想う.存在を削除しようと考えることも,火のないところに煙を立てるのも,それを信じることも,すべてはヒトの脳のバグではないだろうか.
先のエッセイに書いたが,国安はバツイチ,わたしは初婚である.わたしたちがインターネットで知り合った頃,国安は何年も法的には独身でありえたが,戸籍という紙の上ではまだ独身ではなかった.二人ともMicrosoft派ということで意気投合していたので,国安は,一度会わないかと言ったが,わたしは断った.いくら喫茶店で会って技術的な話をするだけでも,誤解を招きかねない.そんな行動はとらないというのが,わたしの姿勢なのだ.よって,わたしが国安と初めて会ったのは,国安が紙の上でも独身になった後であり,最初のデートの場所は紀伊国屋で,村田真著「XML入門」と「インサイドDynamicHTML」を買ったのである.
わたしは,宴席が苦手な,仕事一筋の自他ともに認めるバカまじめ人間だった.いまでも,バカまじめ度は相変わらずで,国安があきれるほどだ.
にもかかわらず,結婚当時,知人たちからは「結婚してくれたのか,よかったな」という意味の発言が聞かれた.不倫の末の結婚だと誤解されていたらしい.面倒なので聞き流していたが,聞き流すという行動がさらにウワサを呼ぶかもしれない.
火のないところにも煙は立つ.わたしたちの生活では,他者のバグを引き出さないように言動をコントロールすることや,自分からエラーを出さないようにすることが重要事である.良く言えば「人間関係を学ぶ」ということなのだが,ひっくり返せば,個々の脳を進化させる方法を模索することよりも,お互いの進化していない脳を制御し合うことに一生のうちの大半の時間を費やしていることになる.それを考えると,平均寿命までまだ数十年以上あるがゆえに,何とも暗澹たる気持ちになるのである.
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