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(5)メカ好きの原風景/2003年3月17日

3年前は,締切に追われて自主缶詰になっているうちに,高専ロボコンのTV番組が終わってしまっていた.2年前,今年こそは見るぞと思っていたら,XSLTコードを書いている間に,見逃してしまった.そして昨年.ワールドカップで盛り上がっているうちに,何ということだ,ロボカップが開催されていたのだ.気付いた時には,終わってしまっていた.今年こそは...と思っていたら,TVから何やら気になる雑誌のCM(週刊リアルロボット)が流れてくる.国安が気楽そうな口調で「買えばぁ?」.しかし,気楽に買ってハマるといけないので,「仕事しなきゃあ,仕事」とつぶやいて無視を決め込む.
むかし、高専ロボコンでドリームタワー賞を受賞した「ひうちのジョーダン」のある学校に,取材で訪問したことがある.教務室の横に展示されていたのだが,展示ケースの上は埃の山だった.2度目の取材の際には,マイペットと雑巾持参で訪問し,勝手にケースを磨き上げてしまった.
メカ好きには,メカ好きになる原風景がある.子供の関心や嗜好を決定付けるのは,遺伝的要素だけではない.遺伝的要素がソフトウェアの機能だとすれば,風土や教育は,初期設定である.TVニュースで子供たちの置かれた環境を見るにつけ,初期設定を書き換えることの難しさを思う.
わたしの生まれ育った町は工業都市だ.犬も歩けば,技術者.さもなければ,工場に勤める技能者である.わたしの父も技術者で,わたしは設計図の中で育った.生まれて初めて憧れた職業は,ロケットのエンジンの開発者.TVアニメを見て,ロケットがなぜ宇宙を飛んでいるのか,それが不思議で仕方なかったからだ.幼稚園の頃の淡い夢である.とはいえ,やりたいこと=できること,ではない.オッチョコチョイで暗記力ゼロのわたしに,なれるはずもないと思い,すぐにあきらめてしまった.
先日,事務所に光ファイバーを引いたついでに部屋のレイアウトを変えようと思い,山積する資料を整理していたら,大昔に描いたラフスケッチが出てきた.20年ほど前のものである.展示品の企画段階のイメージ図だ.当時の勤務先の上司と,その友人のO氏(ロボリンピック提唱者)が,地域のパソコンサークルに参加していた.技術イベントに,サークルの保有するパソコン10数台を使った何かを出展することになり,アイデアを出す作業がわたしに回ってきた.数十のアイデアを出した.その中のひとつを,上司が実現可能な形に設計し,メンバーたちが徹夜の連続で制作した.2台のステージの足元に各々6個のパネルがあり,内側に電球を仕組む.光ったパネルを踏むと点数が加算される仕組みだ.パネルのランダムな点滅や,点数を加算して画面に表示する処理は,行番号付きBASICで実装.上司が,DD(ディスコダンス)と命名した.来場者は,音楽に合わせてステップを踏み,対戦を楽しんだ.後に,百貨店から遊具コーナに置きたいという問い合わせがあったそうだが,数日間のイベント用に制作したもので,長期連用に耐える素材で制作されていなかったため,その申し出を断ったと聞いた.
当時,わたしは22歳で,フォークソング世代の国安流に言えば「22歳になれば少しずつ臆病になるわ(そういう歌があるらしい)」のはずだけど,臆病なんて微塵もなく,ヒトの動作を音や色に変換して,それをアートとして表現できないか,絵や音や文字や数値(センサから得られる)情報の垣根を越えてデータ交換したところに表現の可能性はないか,ということばかり考えていた.いまは「XML」が,いつか,その可能性を見せてくれるのではないかという気がしている.
技術がどこへ向かうのか,どんな可能性を見せてくれるのか,漠然と想像することは楽しい.結婚して里を離れて田園に住み,いまは商業都市に住んでいるけれど,やはりわたしの原風景は,コンビナートと工場が立ち並ぶ町である.
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