Archives > Essay(2003.3-2004.7)

(13)Compact .NET Frameworkで時空を想う/2003年9月24日

 最近、Compact .NET Frameworkで動作する福祉ツールの開発を始めた。相方の国安は、VS.NET2003でゴリゴリとコードを書いている。わたしは、GUIを実装するためのアルゴリズムを書いている。
 この開発は非常に勉強になっている。自閉症児のためのツールなので、とにかく障害について知らなければならない.できるだけ発案者(某大学の先生)の意向を汲み,ユーザフレンドリーなUIを実装しようとWeb上で情報を探せば探すほど,技術的な解決策以上に、人間の脳の処理について、気づかされることが多いのだ。とくに、時間と空間における人の認識について、考えを新たにしている。
 自閉症児は、時間の感じ方が、普通の人とは違うという。
 といっても、普通の人の時間の感じ方も、一様だとは言えないけれど。普通、人は、時間は過去から未来へ流れていると感じていると言われている。だが、もし、この世に時計がなく、あるいは時計の見方を習わなかったなら、わたしたちは、そう感じるのだろうか?人の時間に対する感覚のどの部分が、先天的な感覚なのだろうか。
 時計がなく、自然と一体化して暮らしている人たちは、自分の年齢さえ曖昧に記憶している。記憶が弱いのではなく、数える必要がないのだ。もし、この日本に生きている人が、生まれながらにそのような暮らしをしていたら、いまの自分と同じように時間というものを捉えているだろうか。
 時計の見方を習ったときの、あの、奇妙な違和感。時計と時間の意味は複雑だった。過去も現在も未来も一つの輪のようにつながっているように感じられるのに、一部分を切り取って順序を付けることの難しさ。人は常にとどまっており、観覧車をまわすリスのように、水車を回している。事象の川から水がくみ上げられ、時間が未来から、人の方へ、流れてくる。未来の事象は、人に経験されて、現象となる。そう感じていたし、いまも、そう感じている。時間が過去から未来へ流れているという感覚が、ない。過去に懐かしさも感傷も感じられないのは、時間の感覚がどこかズレているからかもしれない。
 時間に限らず、空間についても、感じ方は、百人百通りなのではないだろうか。
 わたしは、ともすれば、自分の周りの空間を感じてしまう。視野の範囲ではなく、360度の感覚。座っていても、ちょっと気を抜くと、畳が透けているように感じられ、その下の地球を意識してしまうし、仰向けに寝ると天井が透けて星空を感じてしまう。なので、高いところが苦手で、取引先が気をきかせて予約してくれた高層ホテルでも、窓から夜景を楽しむことができない。日常生活では、仕事が非常に忙しいし、そのおかげで夜はバタンキューと寝てしまうので、その感覚を感じないように努力する手間は省けている。
とはいえ、この感覚は、デザインを生業とする人間にとって、致命的なハンデだ。写真撮影でも、カタログのレイアウトでも、二次元の枠内に絵づらを収めなければならない。空間を切り取って二次元の平面に落としこまなければならないのに、それを「何気なく」行うことができないのだ。勤務時代は、インタフェースデザインではなく、印刷媒体のグラフィックデザインの仕事をしていたから、このハンデを克服する必要があった。そこで、感覚には一切頼らず、知識と経験をもとにした計算によって感覚を補い、アイデアを付加価値とすることで、仕事をこなしていた。
 ある人の時間や空間についての感覚は、別の人のそれとは異なる。「時空はこう感じられる」ということと、「時空はこうなっている」ということも、もちろん異なる。この感覚と理論の隙間を埋めたくて、むかし、卒論のテーマに、時間論を選ぼうとした。とはいえ、人文系の学問には、何の手がかりもない。時間はこうだ、はい、さようでっか、ハイデッガーてな具合にはいかんのだよ。カメヤマローソクの焔を眺めてバシュラールを想うことの難しさよ。
この世界を見つめ発見し深く語るための手段と、より適切に表現しうる手段は、異なる。最終的な表現手段は、おそらく文学でも音楽でも絵画でも倫理学でも哲学でもなく、数学や量子力学にある。理系の知識の必要性を痛切に感じた。分野の壁を越えなければ何も知ることができない。専門を極めることは、他の分野の情報を排除することではない。だが、当時は、特定分野の中に物事を閉じ込めておかなければならない時代だった。結局、学生の傍ら仕事をしていたわたしは、仕事を選んで学生をやめてしまったのだけれど、いまでも、やはり分野間の壁は乗り越えるべきだと思っている。そして、デザイナのクセにプログラムに首を突っ込み、本を書いたりしている。
 時間と空間の感じ方が人によって違うということ、それをあらためて知ったことだけでも、この開発は勉強になっているなぁ、と感じ入る9月である。あと10年,年齢を重ねたら、理系の学問を勉強し直そうかな、と思うときがある。デザインよりもプログラムよりも、深くて面白い世界があるような気がするのだ。   
もどる