
以前、本サイト内のエッセイ(Archives/Essay、哲学の沈黙、科学の饒舌 / 2005年11月30日)で、「来世紀の哲学の深遠な命題を左右するテーマが3つある。Autism、DID(Dissociative Identity Disorder)、Schizophreniaだ。これらの持つセマンティクスが『我』を語るために必要不可欠な要素となりうるからである。」と書いた。
およそ従来の哲学は、「我」を基本に語られてきた。基本が揺らげば、その上に成立する論理も揺らぐ。
その基本に漠然と感じていた「奇妙な感覚」の正体を具体的に捉えたのは、昨年の夏、産婦人科の待合で「論理哲学論考」を読みつつ、妊婦さんたちを眺めていた時だ。
腹の中に別の存在がある。どこまで、いつから、その存在は「我」ではなくなるのか。従来の哲学は、十分な哲学的素養を持ち合わせた(それ相応の年齢の)妊婦が、自らの認識と存在について思索したものではないことに、綻びがありはしないか。
妊婦に限ったことではなく、その「我」を不定形にするのが、上記の3つの現象である(あえて、「障害」あるいは「病気」という言葉では呼ばず、『現象』と呼ぶ)。
学者に限らず、市井の思索家が、存在について語りたい時は、まずこの3つの現象を眺めてみるべきだろう。
例えば、DIDについて言えば、この現象は、1個の存在の中に、1個の脳があり、且つ、パーソナリティが複数存在するという状態を指す(【図1】では、AとBの2タイプ)。
この現象の状態をXMLで表すと【図2】左図のようになり、RDBに当てはめれば、右図のようになる。
XMLでは階層化せざるをえない。
これは、DIDに限らず、業務レベルでの一般的なデータでも同じだ。「任意の社員」を表すには、絞り込み検索処理が目的であれば「会社に属する、部署に属する、任意の社員」という階層構造が望ましく、社員を氏名で検索して属性を知ることが目的であれば「会社名、部署名は、任意の社員のとプロパティである」ことが望ましい。XMLでは、仮のDOMツリーをメモリ上に展開して処理することはできても、この両者を同時に表現することができない。
XQueryを使った縦断検索や、リレーションシップの張り方で、目的の結果を得られたとしても、それは存在のコンセプトを歪めた応急処置に過ぎない。
また、RDBではIDの重複が許可されないので、existenceを主キーとするのが妥当であるところを、personalityを主キーとして扱うしかない。
2次元に限定される現在のデータ形式では、視点によって階層構造とプロパティを柔軟に切り替えることはできない。
XMLであってもRDBであっても、従来のデータ形式で表現しようとすれば、同じ次元で扱わなければ、処理することができない。
だが、本来、肉体としての存在、脳、パーソナリティは、同じレベルのものではなく(not as the same dimension)、その間には、階層構造は成立しない(【図3】)。
The existance has no order. この次元でオブジェクトとして処理するために、順序が必要とされているだけである。
先の思索に書いたように、"Para-XML" では、あくまで基点となるルートノードと、単独でも存在しうる要素ノードのみが存在する。それらは、すべり、移動する。同時に、観測者も、移動することがある(a context node from a current node)。
重要なのは、順序ではなく、視点と、対象との関係である。
"Para-XML" は、順序を持たず、重複IDを許可し、相互に包含関係も持たず、n次元に構築される。
我々がorderと呼ぶものは、現在のデータ処理、いやWeb10.0の時代まで必要とされる。だが、その後は一部必要とされなくなるかもしれない。社会システムの破綻を防ぐのは、non-order and N - Dimensionsでオブジェクトを捉える概念だからだ。(2006-7-28)